ここ最近の仕事は、繁忙期でもあるため気が抜けない。かなり動き回るため膝や腰がよくないわたしには、非常につらい。そのうえ今年2回目。かかとに血豆ができた。歩くたびに痛く足が踏ん張れない。キツくて頭がくらくらしてきたが、ここで倒れるわけにはいかないと。「トイレにいってきます」と言って少し誤魔化す。なぜ痛いといわないか。
ここで痛いといったら、きついと言ったら負けた気がするから
自分の職場は、20代がほとんど。わたしの年齢からするときついのは当たり前。しかし、冗談めいて「くたびれた~」と言うのならまだしも、「本当にもう駄目」 「もう無理」っしまうとしまうと、年がいっている人は、やっぱり使えないなと思われるのが嫌なのだ。
なぜそう思うのか。
子供がまだ小学生の頃勤めていた印刷会社で、今の私と同じ位の年齢の女社長が、「新しい事がができないのを年齢のせいにしないよ」「ほかの人ができているんだからできないことはない」という人たちの中で仕事をしてきた。今の私の体力やキツさとは少し違うが、物事出来ないと決めつけない。出来なければ工夫する。という中にいた。当時の事がいつも頭によぎり、「何事も年齢のせいにはしたくない、負けたくない」というのがなぜかいつも、頭の片隅にあるからだ。
とはいえ、疲れをまとった体を仕事帰りに行く銭湯で体を癒やしたあとは、布団に吸い込まれるように気を失う今日この頃である。
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