1月のときも思ったけど、もう2月。1月も仕事はほぼ残業で、私の仕事のやり方が悪いのか、まわりに遠慮して帰れないのか、また、1月の残業時間が30時間ちょっととなってしまった。1月は行事などもあり、疲れるであろうと予測して、月末月初は休みたかったので、1/31と2/1は公休であったが、2/2まで休みにした。
休みが3日あると、気持ちに余裕も出来、何か普段の休みでは出来ないことをしようと計画をたてることもできるし、朝寝ようと思えば寝ることもできる。
今回この休みを利用して少しでも荷物 身の回りのものを減らすべく、衣類ダンスの整理をした。なかなか処分出来ない子供の小さい時のもの。要は、保育園 小学生の頃の衣類、手提げ、小物もろもろの整理した。折りに触れて整理しているのだけれど、やはりなかなか捨てれない。子供たちは小さい時から、何故か物の扱いが丁寧だったので、ひどくいたんでいるものはほぼ無い。ハンカチだって手提げだって綺麗だ。本当に誰かもらってくれるならばいくらでも持っていって欲しいぐらい。それでも、今回は履けそうにない靴下や、端が少しすり切れている上靴入れなどは、引き出しには入れ無かった。今回さよならする衣類は、40リットルの袋半分ぐらいとなった。
本当にあの頃は、私の勝手な思いであったと思うが、惨めにならないようにと、子供たちの必要なものは揃えた。長男と2つ下の双子の姉妹。必死だったけど、不思議と貧乏人なのに、卑屈ではなかったと思う。
そして、この2月になると思い出すのが、近くの神社に節分祭りがあった。子供たちは小銭と、前もって買った替え玉券をもって友達と連れだって神社に行くのだ。祭りにいくというのが嬉しいのだが駄菓子を買って食べながら、替え玉券のくじを引くのだが、替え玉券の値段とは見合わない品を持って帰ってきては「それ買った方が安いよね」と思いながら、子供はそんなことはお構いなし。祭りにいけたことに満足して帰ってきて疲れたのかこたつの中で寝るというのがお決まりだった。
私の小学生の頃も、節分は、神社に行き町内で買った替え玉券を土器の様な形をした鈴に引き換えて、それを割ると中におみくじの様な紙がはいっていた。その中に引き換えの商品名が記載した紙があるのだ。昭和40年代本当に賑わっていた。夜なのに人が多くて人をよけながら歩いた記憶がある。それを終えて家に帰ると母が、甘酒を作ってくれてこたつにはいり寒い冬を過ごした記憶がある。
今日も、底冷えがする日だが、冬のちょっとした子供の頃の楽しみ。普段の何気ない日常はうれしい。

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